〇〇法則の創り方
2024年10月4日
今回もコラムを読んでいただきありがとうございます。
最近の天気は穏やかです。空気がよく澄んでいて、夏の蒸し暑さがすっかり無くなりましたね。まさに秋晴れです。空を見上げると、入道雲が見られなくなり、夕立に伴う雷が鳴らなくなりました。「七十二候(しちじゅうにこう)」では、9月末頃を「雷乃抑声(かみなりすなわちこえをおさむ)」と名付けています。その意味は、文字通り雷が鳴らなくなることです。「七十二候」とは、一年を二十四等分に区切った二十四節気をさらに三等分したものです。約5日ごとに季節が巡り、それぞれが自然の微妙な変化を繊細に捉えています。
七十二候はもともと古代中国で生まれ、日本に伝わったのは6世紀頃だそうです。昔の日本人はそれを頼りに、生活の基盤であった農作業の一年のスケジュールを決めていました。ただ、中国と日本では自然の環境が異なるため、適切な時期に田植えや収穫をすることが出来ませんでした。そこで、この中国発祥の七十二候を日本の風土に合わせ、“日本版七十二候”に改良したのが渋川春海です。彼は、古代中国の暦学と西洋の最新の天文学を駆使し、江戸時代前期に国産の暦である貞享暦(じょうきょうれき)を創りました。そんな彼の功績を認めた江戸幕府は、渋川をリーダーとし、天体や暦の研究機関である天文方を設置しました。それ以降、日本が明治6年(1873年)に欧米由来の太陽暦を採用するまで、貞享暦が日本人の生活のリズムを支えてきました。
さて、渋川が貞享暦を創る過程で、どのような頭の使い方をしたのでしょうか。その答えは、帰納法です。帰納法とは、複数の物事から共通点を抜き出し、それを基に一般的な法則を導く頭の使い方です。渋川はきっと、毎日天体の動きや生き物の様子、天候を記録し、毎年ある時期には同じような自然現象が繰り返されることを発見したのでしょう。それを基に、日本のどの地域でも普遍的に適用できる暦を創ったのではないかと考えられます。つまり、彼は日本の天候の法則を発明しました。
学校の教科書で見られる「〇〇法則」は、帰納的思考法によって生み出されています。このコラムをお読みのあなたも、オリジナルの法則を考えてみてはいかかでしょうか。ちなみに私は、「ハトの法則」を考えました。それは、どのハトも顔を前後に動かしながら前進しているのです!自宅近くの公園にいる10匹のハトを観察し、どこか共通点はないかなと考えていたら、ふとそのことに気が付いたのです。最後まで読んでいただきありがとうございました。