汗と涙のお札物語
2024年8月3日
今回もコラムを読んでいただきありがとうございます。
先日、銀行のATMで1万円札を引き出したら、なんと渋沢栄一の新札が出てきました。また、スーパーのセルフレジの機械にお金を投入したら、津田梅子の新札の5千円がお釣りで出てきました。どちらもキラキラ輝いていて、レアカードを手に入れた気分になりました。
さて、今年7月3日に新札が発行されて、間もなく一か月が経ちます。皆さん、もう新札はご覧になられましたか。新札を手にすると、これまでのお札とどこが違うのか気になられるかと思います。そこで今回のコラムでは、お札の歴史を紐解きながら、新札の特徴を学んでいきます。
では、日本ではいつからお札が使用されるようになったかご存知でしょうか。紙幣を印刷する国立印刷局によると、日本で最初のお札は、今から600年以上前の安土桃山時代末期に誕生したとされています。お札が誕生する前までは、物の売買をする際は、金貨や銀貨など硬貨を利用していました。当初のお札は、硬貨の代わりとなる預かり証としての役割でしたが、江戸時代になると、各藩で、物の売買ができる藩独自の紙幣として流通するようになりました。つまり、江戸時代までは、現在の都道府県である藩ごとに、異なるお札で商売がされていたわけですね。その後、明治時代になると、日本初の全国通用の紙幣「太政官札」が発行されました。この「太政官札」が、現在我々が使用しているお札の元祖であります。
「太政官札」の発行から、今年の新札の発行まで、約150年の月日が流れました。その間、日本のお札は改良に改良を重ねて、今では世界一の偽札防止技術を持つ紙幣と言われるまでになりました。ただここまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
近代社会の黎明期である明治時代は、日本のお札作りの技術が未熟だったので、お札の偽造が盛んに行われ、社会の秩序が乱れていました。偽造防止が第一と考えた政府は、印刷と彫刻技術が世界トップクラスのドイツやアメリカに紙幣製造を依頼し、偽造されにくいお札を作成しました。その後、西欧諸国の技術を模倣しながら、日本の製造技術は年々向上し、日本独自の技術を確立するまでになりました。
戦後、約20年おきに新札が発行されています。その理由は、偽造対策とユニバーサルデザインの改善です。まず、代表的な偽造対策として、戦後6番目に発行された今年の新札には、立体的な肖像画が左右に回転する「3Dホログラム」が取り入れられています。この技術をお札に導入したのは、日本が世界初だそうです。次に、ユニバーサルデザインについて。ユニバーサルデザインとは、総務省によると、“あらかじめ、障害の有無、年齢、性別、人種等にかかわらず多様な人々が利用しやすい都市や生活環境をデザインする考え方”です。今年の新札では、目の不自由な方がお札を識別できるように、スマートフォンアプリ「言う吉くん」を起動し、カメラにお札をかざすと、音声でお札の種類を知らせてくれるそうです。
このように、お札の歴史と新札の特徴が分かりましたね。日本の円の価値が他の通貨に比べて、低い現状が続いていることに悲観するかもしれません。しかし、日本のお札の価値は、他の国の紙幣に比べ、高いのは間違いないでしょう。近代社会の礎を築いた北里柴三郎、津田梅子、渋沢栄一の三者の顔を見るたびに、不思議とポジティブな気持ちになれるのは私だけでしょうか。最後まで読んでいただきありがとうございました。