もののあはれ

2024年4月26日

今回もコラムを読んでいただきありがとうございます。

新年度が始まりもうじき一か月が経ちますね。

三寒四温の時期が過ぎ、比較的夜が暖かくなり始めました。東京の街を歩くと、以前まで満開に咲き誇っていたが見事に散り、葉桜が見られるようになりました。4月上旬の頃は、公園へ行くと、満開の桜の木の下で、お花見をしながら楽しそうに会話をしている人たちがたくさんいました。

ところが、今の時期に公園へ行くと、が散ってしまったせいか、あまり人がいません。あの盛り上がりは一体何だったのか、不思議に感じてしまいます。

さて、お花見といったら、日本人ならきっとだれもがをイメージすると思いますが、その理由は何だと思いますか。

 一説によると、今から千年以上前の平安時代に、平安京貴族を愛でる宴を開催したことが起源だそうです。貴族たちは、を観賞しながら、を作り、楽しんでいたそうです。現代の我々の遊びと比較すると、当時の貴族たちの遊びは、とても高貴なものと言えますね。

平安時代では貴族お花見をしていましたが、鎌倉時代になると、武士お花をするようになり、江戸時代になると、一般庶民お花見をするようになりました。

貴族武士観賞物として捉えていたそうですが、大多数が農民である庶民は、稲の神として崇めていたそうです。農民は、稲作の準備が始まる春の時期に、満開の桜を見ることが出来れば豊作に繋がると信じ、の木の下で大いにお祝いをしたそうです。盛大に祝うことで、稲の神様を山から自分たちの田んぼに呼び込もうとしたとも言われます。

平安時代から今日まで千年以上も、我々日本人はお花見をしていますが、その盛り上がりは、が散ってしまうと、一瞬で終わってしまいます。つい数週間前は、満開の桜の木の下で多くの人たちが公園で楽しく過ごしていたのに、が散った現在は、公園にあまり人がいません。なんだかあっけないですね。ただこのあっけなさを日本人は古くから、「もののあはれ」として肯定的に捉えています。

「もののあはれ」とは、目にする物に対し、哀れを感じることです。この哀れとは、かわいそうに思う意味ではなく、しみじみ

の奥底まで感じる意味です。どれだけ美しいものでも、その美しさは永遠に続くわけではなく、必ず終わりが来ます。が美しく満開に咲く一瞬に、日本人は古くから哀れと自然に感じていたのでしょう。日本人に潜在的にある「もののあはれ」の気持ちを大切にすると、日々目にする景色に彩りが加わり、新鮮な日々を過ごせるのではないでしょうか。最後まで読んでいただきありがとうございました。