“なぜ山口県から、日本のトップが数多く誕生しているのか?[後編]”

2024年3月29日

 前回に引き続き、今回もコラムを読んでいただきありがとうございます。

 それでは、なぜ山口県からこれまで最多8名首相が誕生したのか。

 その理由として考えられるのは、吉田松陰スピリットが山口県に深く根付いているからと言われています。

 ご存じの方もいらっしゃるかと思われますが、そもそも吉田松陰とは一体何者なのか。

 彼は、江戸時代後期の1830年に長州藩(現在の山口県)で生まれ、幕末の1859年に幕府の命令により処刑された人物です。その生涯はわずか29年。30歳にも満たないまま人生を終えた若者の精神が、どうして未だに山口県に染み付いているのか。

その答えはきっと、彼が塾長を務めていた松下村塾の存在が影響していると思われます。自然豊かな山口県萩市にひっそりと学び舎を構え、吉田松陰は身分関係なく塾生を迎え入れました。28歳から塾長として本格的に指導し、処刑される直前まで塾生と議論しながら、お互いに学び合っていました。その期間ほんの一年程でしたが、松陰の教えに感化された塾生は、後に明治時代という新しい時代を担う中心的なメンバーになりました。

 その中に、初代総理大臣を務めた伊藤博文がいました。一説によると、松陰と出逢うまで、博文はお酒と女に溺れ、いわゆるスケベおやじだったそうです。しかし、松陰と出逢い、彼の考えや志に感銘を受けたことで、心を入れ替え、一意専心勉学に取り組み、学びを日々実践し続けた結果、日本を引っ張るまでの人物となったのです。

 では、吉田松陰のスピリットとはどんなものでしょうか。

 松陰が大切にしていたのは、自らの志を決して曲げずに、学んで感じたことを素直に実行することでした。たとえ常識に反することでも、世間体を無視し、自分に正直に生きることが松陰のスピリットでした。例えば、幕末にペリーが浦賀に来航した際、これからは外国の文化や技術が大切だと感じた松陰は、幕府の許可を得ずに勝手に黒船に乗り込み、外国へ行こうとしたそうです。そんな松陰の凄まじいほどの精神に触れた塾生たちが、後に明治維新という新しい時代を創り上げたのです。

 このように、山口県から日本の首相が一番多く輩出されている理由は、吉田松陰のスピリットが今でも深く浸透しているからだと思われます。皆さんはどう感じますか。もしかしたら、あの日本トップ実業人が山口県出身なのも、松陰のスピリットが関係しているのではないでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました!